私とファロー四徴症と弁置換手術

ファロー四徴症の弁置換手術を行いました。   体の中に弁を入れるという不安。 感染症に対するアフターフォローの不安。 色んな不安はあるけれど、 ただでさえ少ない患者数。 情報も多くない中なので、 同じように悩む人の助けになりますようにと、 希少性疾患患者の1人として情報発信をいたします。 現在リモートワーク下で、 妻と2歳半の子供と過ごしてます。

ファロー四徴症と30数年間① 5歳の時の最初の手術

こんにちは花次郎です。

 

30代の私。

これまでの病気との歩みを振り返ってみます。 

 

生まれて間もない頃、

心雑音から先天性の心疾患ファロー四徴症

ということがわかったそうです。

 

もちろん記憶なんてないですが、

親から聞いた話、長距離歩行となると、

歩いては休み、歩いては休みを繰り返して辛そうだったそうです。

 

記憶にある私自身の発言は、

幼稚園の頃の話。

道路にうずくまって

「運動しないから(できなくても)いいもん」

と言っていた記憶。

 

前後のやりとりは覚えていませんが、

運動すると体に良くないという情報による理解から、

運動しないと言わせたんでしょう。

後に、運動できないのは子供にとってすごく辛いというか、

ストレスなことだったんですけどね。。。笑

 

そして5歳の時に初めての

ファロー四徴症に対しての入院手術。 

この時は弁置換はせず、

自分の弁を温存したということです。

 

入院当日の記憶、

同じく心臓の病気で入院している男の子に迎えられたのを覚えています。

彼は自分より少し小さかった気がしますが、

青色のパジャマを着て、嬉しそうに飛び跳ねながら廊下で僕と一緒に歩いて病室まで向かった記憶があります。

 

病室が一緒の彼。

幼少期暴れん坊だった私は、

何かの弾みに彼の胸を叩いてしまい

泣かせてしまったのを覚えています。

今更ながら、ごめんなさい。。

 

手術後、胸に一本、消毒液の色だと思われますが、

イソジンみたいな赤紫色ににじんだ傷跡があり、

紙テープなどでとまっていました。

今は痛々しいという表現ができるけれど、

当時は無感情だった気がします。

一方、傷を保護しながら、シャワーを浴びるのが、

大変だった感覚は覚えています。

 

また覚えている感覚は、抜糸の痛み。

お腹のあたりに、縫った糸が飛び出していて、

定期的に抜糸をするのですが、

それが何とも言えない苦しさで。

後にも先にも似たような感覚を味わったことは無いですね。

 

痛いとも違う、鈍い苦しさが

お腹から糸を抜くときにあるんですよね。

処置室のベットに横になり、処置されるのですが、

壁に貼ってあるアンパンマンや子供向けのキャラクターが見える映像の記憶が残っています。

 

そして、退院。

 

それからの日々、

10代〜20代まで、

ラソンや強度の強い運動はしてはならないということで、

体育もマラソンは欠席、

部活動もできませんでした。

 

が、逆には、それ以外の運動は基本OKでした。

 

お陰様で手術前よりは普通に動いたり、

運動できるようになりまして、

一部運動ができない、制限されている反動か、

動きたがり、遊びたがり、自然以上に活発な子供になった気がします(笑)

 

そんなこんなで、

ほぼ普通の子供と一緒に成長し、生活し、

他人から見たら病気持ちとは1mmも思えない子供だったと思います。

 

そんな自分がちょっと気になっていたのは

10代後半から時折意識するようになった

脈の乱れでした。

 

本投稿はここまで。