私とファロー四徴症と弁置換手術

ファロー四徴症の弁置換手術を行いました。   体の中に弁を入れるという不安。 感染症に対するアフターフォローの不安。 色んな不安はあるけれど、 ただでさえ少ない患者数。 情報も多くない中なので、 同じように悩む人の助けになりますようにと、 希少性疾患患者の1人として情報発信をいたします。 現在リモートワーク下で、 妻と2歳半の子供と過ごしてます。

入院4日目 ②手術後

こんにちは。花次郎です。

 

今回の手術は、

全身麻酔カテーテルによる

ファロー四徴症の肺動脈弁置換手術。

 

開胸手術より身体への負担は小さいという話でしたが、

それでも術後は辛い。

(カテーテルでこの苦しさなんだから、開胸の時は心配だ)

 

尚、次の手術は日本のレギュレーションで

開胸の外科手術になる予定とのこと。

 

術後、目を覚ました。

一瞬どこかわからなくなりましたが、

数秒で状況を理解。

あ、手術無事終わったんだと。

眠ってたので一瞬で場面転換してますね。

 

そこから集中治療室に運ばれたんですが、

寒気でブルブル震えちゃって、

熱があがってきました。

熱が出る事はあまり無いとのことです。

自分の場合、家系に筋肉の病気を持っている人がいて、そんな血筋だと麻酔で悪性高熱という厄介な病気を引き起こしてしまうと聞いていたのですが、

どうやら悪性高熱とは関係ない熱でした。

 

吐き気もものすごくて今回も辛かったぁ。

以前、肺気胸の手術した時もずっと長い間吐き気に襲われてたんで、今回もかと思いました。

夜まで吐き気に襲われ続けましたが、

逆に言えば1日で済んで本当に良かったんですがね。

 

カテーテルは股の足の付け根あたりから、両足に入れました。

術後6時間は止血のため絶対安静なので、

吐き気があろうが基本動けません。

腰も痛くなるから大変。

ほんと、ベットで腰が痛くなる問題は解決しないと辛いですよ。。

 

ですが、ドクターの最初の訪問でちゃんと止血できてたので良かった。

入院中から、血をサラサラにする薬を飲み始めたので、止まるか不安でした。

やっぱり採血や、点滴の針を抜いた後、

アルコールで押さえてても、薬を飲む前の比べて血は固まりにくいですね。

 

術後どうしても不整脈は出てきてしまうらしく、想定の範囲とドクターも言われてました。

しかし、一晩中激しい不整脈が胸を打っていたので、想定の外に出はしないかと心配していました。

 

これに関しては、

脈をゆっくりにする薬を飲んで

様子を見ようということになりました。

カテーテルで入れた弁と心臓が馴染んできて

そのうち自然に不整脈は治るらしいのですが、

並行して様子見ましょうと言うことでした。

 

さて、ある程度自由に動けるために、

止血はクリアできたので、

後の問題は、

・寝ながら尿ができるようにとつけられた尿道カテーテル

・吐き気

・熱

 

残念ながら、尿道カテーテルは翌日外しましょうとのことで一晩つけたまま過ごしましたが、トイレに行くとなったら辛かったので結果つけたままで良かったですね。

 

吐き気はとにかく寝て、

夜中には水を飲んでも戻さなくなったので、

快復傾向と喜べました。

ホント水さえも飲めない時、

これまでの人生で味わった美味しかった水の思い出が蘇ります。

(小学校で運動後に飲んだ水道の水、キンキンに冷えた冷蔵庫の水、山の湧水などなど)

 

この日の夜は身動きも取りづらく、

吐き気や腰の痛みなど色々あって、

断続的な睡眠をパラパラ続けながら朝を迎えました。

 

 

入院4日目 ①手術前

こんにちは。花次郎です。

 

今日は手術の日、

正直すごい不安。

できたらしたくない笑

 

私は手術は初めてではない。

と言うかむしろ、

これまで会ってきた私の周りの知人と比較すると多い。

 

5歳の時のファローの手術、

10代後半の肺に穴が空く肺気胸の手術、

20代前半の臀部(皮膚)の手術、

気胸も臀部もそれなりに辛かった。

 

が、手術前に怖がることは無かった。

麻酔によって眠ってしまうし、

自分ではどうすることもできないので、

考えるだけ無駄とも思ってたのだろう。

 

しかし、今回は手術前から、

終わった後どうなるんだろうと不安になる。

歳なのか。

家庭や子供も持って勝手にはできないというのもあるだろう。

 

また今回は、外から入れた弁が体の中に残る。

この点が大きく不安を与えてくる。

 

ドクターの話によると

2週間ほど胸の突っ張り感を覚えるらしい。

「どの程度の突っ張り感だろうか。」

個人差はある。

自分に感じられるのは、どの程度になるのか。

今から不安だ。

 

今は起床後、点滴をしてもらい、

出発まで1時間半をきったところ。

ドキドキ。

 

そして、いよいよ30分前。

着替えも完了。

出発を待つのみとなった。

入院3日目

こんにちは、花次郎です。

入院して手術までの間、

検査などをして過ごします。

 

本日はPET/CT検査という検査をします。

心臓の血流と機能をみる検査だそうです。

 

それにしても、、

手術に向けて行う検査は、

これまでの人生で体験したことのない規模の検査だなという感想です。

何を言っているかというと、

これまで受けてきた心臓に関わる検査も、

健康診断とか人間ドックでうけるような検査で用いられるような

配線が体につけられたり、点滴を打ったりしました。

 

ですが、直近の検査は、

点滴の量とか打つ腕の数とか、

配線の量とか、多いなぁという印象です。

 

今回のPET/CT検査も、

ザックリとしたイメージとしては、

右手、左手、両方の腕から点滴で薬を投与しながら行います。

それでCTするんですね。時間は50分くらい。

 

検査室に入ると、

「薬の関係で複数名が同時に取り囲み、

準備をするので驚かないでください。」.

という説明が最初にありましたが、

実際その通りで4〜5人のスタッフに取り囲まれて、

両腕、お腹、足と準備進められていきました。

 

人数も多い!

 

両腕は万歳のように頭の上にして、

固定されて、動いてはいけない指示。

 

検査中、いま何の時間なんだ?と、

思ってしまう待ち時間が多く、静かに撮影が進んでいきました。

 

まるでSF映画のように、検査中にスタッフが急に全員消えてしまったのではないか?

と思われるほど、静かな時間が流れ、

気がついたら終わっていた。

と言った感じでした。

 

余談ですが、

若干閉所恐怖症の私が恐れた、

心臓MRIのような恐怖もなく、終わりました。

 

ところで、

入院してから血液をサラサラにする薬を飲んでいるのですが、

早速、点滴後の傷が明らかに以前より治りにくくなっており、ショックでした。

血液サラサラになる薬との付き合い方については、今後も書いていきます。

同じように不安に思われる人もいると思うので。

 

それでわ、また。

入院1〜2日目

今日は。花次郎です。

 

5歳の時にファロー四徴症の手術をして、30歳まで生きてきました。

 

30過ぎて間もなく、初めて再手術の必要性を知り、数年後の今、手術に臨むべく入院しています。

 

2021年、日本にファロー四徴症のカテーテルによる肺動脈弁の置換手術が認可された為、認可後、日本で初めて手術を受けるグループの1人として手術を受けることになっています。

 

いよいよ、本日より入院ですが、入院から退院、そしてその後の日々の様子を参考までに綴らせて頂きます。

 

少しでも後に続く患者さんの参考情報になれれば幸いです。※あくまで個人的な手記となりますので、専門的な事は専門的な医療関係者の情報を正として参考にされてください。

 

さて、1日目。

午前中に入院前のコロナPCR検査を受けました。結果は陰性、無事に入院ができます。

入院受付を済ませて病室へ、お昼がまだだったので売店で買ってから向かいました。

 

午後の検査は病室に行ってから初めて内容を聞かされました。尿検査、採血、腹部エコー、心電図、超音波。

 

腹部エコーがあったので、

お昼ご飯は食べられないということで、食べてなくて良かったですが、昼食は16時近くになってしまいました。

 

特段本日は何もなく、

1日が終わりました。

 

<2日目>

1日目は朝も早かったり、

血も抜かれたりとあったので、

早めに疲れて寝てしまいました。

 

朝はいつもより早く5時台には起床。

部屋は日中は暑く、朝夜は涼しいので

衣服の調整が難しいですね。

 

早くもベッドで腰が痛い。

入院すると寝てる時間が長いので、

背中、腰が痛くなりがちなんですが、

今回は1日目から痛いと、早い。

 

看護士さんに相談して、

ここなら歩いている人がいるよという廊下を教えてもらい、

早速午前中はウォーキング。

 

普段もあまり運動しないので、

「入院中のほうが体動かしてない?」

と思いながら歩いてました。笑

 

さて、昨日わかったことですが、

ファロー四徴症の弁置換手術後、

一生涯にわたり血をサラサラにする薬を飲み続ける必要があるそうです。

 

血栓を予防するための薬で、

体の中に入れた弁の耐久性の為などということでした。

 

出血には気をつけようということでしたが、

食事中よくほっぺを噛んでしまって出血しているのが

1点心配です。

 

この薬剤については別途まとめていければと思います。

 

それではまた。

ファロー四徴症と30数年間②

こんにちは、花次郎です。

 

20代の前半頃だろうか、

横になっている際に、

やけに心臓の脈拍が気になるようになった。

 

加えて、その脈が乱れていることにも気がついた。

 

普通なら、

トク、トク、トクと一定の間隔で脈打つところ、

自分の場合は、

トク、トク、トトン、トク、、

という具合に脈が詰まる感じがあった。

いわゆる不整脈だ。 

 

1年に1回は定期検診に行っていたので、

そこで気になっている症状を伝えると、

5歳の手術の時の後遺症で不整脈があるとのこと。

 

これまでも不整脈は存在していて、

幼少期では気にならなかっただけで、

成人になって気になるようになってきたのだろう。

という医師からの説明であった。

 

24時間心電図というものをつけて生活をし、

気になる脈を診てもらうものの、

大きな問題はないということであった。

 

そんな診断を受けた後も、

毎年とは言わないまでも、

体調を聞かれた際は、

脈が気になると何度か話をしてきた。

 

そして、大きな問題は無いという認識で、

30歳を超え、結婚もした。

子供も授かるというタイミングになり、

いつものように定期検診に行った。

 

子供を授かり、

いよいよ何かあってはいけないという意識が強くなり、

自分の熱もこもったのか、

どうしても気になるという話をしたところ、

医師から新展開をつげられる話を聞く事になる。

 

手術を受けた病院でこれまで

診てもらってきたが、

先天性心疾患を持ち、

自分のように大人になった人達を診る専門科は

系列の別の病院にいるとのこと。

そこに紹介状を書くから、

診てもらうと良いですよとのこと。

 

専門科でない?別の場所?

ここには専門医いなかったの?

と驚きました。

 

自分はその病院の小児科で手術を受けたのですが、

途中で一般の心臓外科に移りました。

この心臓外科にはファロー四徴症を専門に診る医師は、

どうやらいなかったようです。

 

なんと。

 

こちらの違和感の要因に関して、

まだ調べ尽くしてないことがある可能性が出てきました。

大丈夫大丈夫と言われてきましたが、

実際は完全に見切れてないのでは!?

 

事実、病院を変えて

新しい検査により本当の事実がわかるのですが。。

 

病院の弁護を最初にしておきますと、

ファロー四徴症の発見と治療の歴史はまだ浅く。

・1960年代後半が最初の手術。

・ファローが治ると言われたのは、1970年代。

・1980年頃には20歳まで生きるのを目標とされてきた病気。→私に当てはまる所。

 

そして、目標が達成された後は、

医学会では治せる病気、根治できる病気と認知されていたようです。

  

しかし、1980年代生まれのファロー四徴症治療を受けた子ども達が、

30代を迎えた際、

どうも不具合が出ることが見つかり始めたのが最近。

時代は今まさに前進を続けているまっ最中。

自分が診てもらっていた病院のように、

小児でファロー手術をした患者を一般の心臓外科などで引き継いで診ていることはあるそうです。

(それも徐々に変わってきているとのこと)

 

そうして、私は、

新しい病院に行き、

心臓MRIというこれまで受けたことの無い検査を受けることになります。

 

そこで精密にわかった

心室の肥大。

 

そして、ここから再手術の話へと入っていきます。

 

つづく。

ファロー四徴症と30数年間① 5歳の時の最初の手術

こんにちは花次郎です。

 

30代の私。

これまでの病気との歩みを振り返ってみます。 

 

生まれて間もない頃、

心雑音から先天性の心疾患ファロー四徴症

ということがわかったそうです。

 

もちろん記憶なんてないですが、

親から聞いた話、長距離歩行となると、

歩いては休み、歩いては休みを繰り返して辛そうだったそうです。

 

記憶にある私自身の発言は、

幼稚園の頃の話。

道路にうずくまって

「運動しないから(できなくても)いいもん」

と言っていた記憶。

 

前後のやりとりは覚えていませんが、

運動すると体に良くないという情報による理解から、

運動しないと言わせたんでしょう。

後に、運動できないのは子供にとってすごく辛いというか、

ストレスなことだったんですけどね。。。笑

 

そして5歳の時に初めての

ファロー四徴症に対しての入院手術。 

この時は弁置換はせず、

自分の弁を温存したということです。

 

入院当日の記憶、

同じく心臓の病気で入院している男の子に迎えられたのを覚えています。

彼は自分より少し小さかった気がしますが、

青色のパジャマを着て、嬉しそうに飛び跳ねながら廊下で僕と一緒に歩いて病室まで向かった記憶があります。

 

病室が一緒の彼。

幼少期暴れん坊だった私は、

何かの弾みに彼の胸を叩いてしまい

泣かせてしまったのを覚えています。

今更ながら、ごめんなさい。。

 

手術後、胸に一本、消毒液の色だと思われますが、

イソジンみたいな赤紫色ににじんだ傷跡があり、

紙テープなどでとまっていました。

今は痛々しいという表現ができるけれど、

当時は無感情だった気がします。

一方、傷を保護しながら、シャワーを浴びるのが、

大変だった感覚は覚えています。

 

また覚えている感覚は、抜糸の痛み。

お腹のあたりに、縫った糸が飛び出していて、

定期的に抜糸をするのですが、

それが何とも言えない苦しさで。

後にも先にも似たような感覚を味わったことは無いですね。

 

痛いとも違う、鈍い苦しさが

お腹から糸を抜くときにあるんですよね。

処置室のベットに横になり、処置されるのですが、

壁に貼ってあるアンパンマンや子供向けのキャラクターが見える映像の記憶が残っています。

 

そして、退院。

 

それからの日々、

10代〜20代まで、

ラソンや強度の強い運動はしてはならないということで、

体育もマラソンは欠席、

部活動もできませんでした。

 

が、逆には、それ以外の運動は基本OKでした。

 

お陰様で手術前よりは普通に動いたり、

運動できるようになりまして、

一部運動ができない、制限されている反動か、

動きたがり、遊びたがり、自然以上に活発な子供になった気がします(笑)

 

そんなこんなで、

ほぼ普通の子供と一緒に成長し、生活し、

他人から見たら病気持ちとは1mmも思えない子供だったと思います。

 

そんな自分がちょっと気になっていたのは

10代後半から時折意識するようになった

脈の乱れでした。

 

本投稿はここまで。

 

ブログへの思い

ファロー四徴症の弁置換手術を行いました。

 

体の中に弁を入れるという不安。

感染症に対するアフターフォローの不安。


色んな不安はあるけれど、

ただでさえ少ない患者数。


情報も多くない中なので、

同じように悩む人の助けになりますようにと、

希少性疾患患者の1人として情報発信をいたします。


現在リモートワーク下で、

妻と子供1人と過ごしてます。